三輪山と山の辺の道
 2011/10/16    
        神話・古墳が点在し美しい古代大和が息づく山裾の道を訪れて(三輪山・山の辺の道)
 
ハイキング当日の明け方まで降り続いた雨も上がり秋日和となった10月16日(日)。
のどかな自然と古代の歴史が息づくロマンの時代を訪ねようと43人ものハイカーが集いました。
下見に行った時には、2〜30人位だろうと話(へたくその手話)をしながら、どういう行程で行くのがいいのかを考えていました。 
     
当日43人の参加ということに驚きました。ホームページを見て参加した人も数人いました。うれしいですね、
いろいろな人と知り合いになり輪が広がっていくというのは。感謝!!感謝!!
今回は、参加人数も多かったので、どんなところをめぐったのか、少し説明を加えたウ感想にしたいと思います。(帰っていろいろ調べてみました。)。コースは近鉄駅構内に置いてあるパンフレットに沿う形で桜井駅から柳本まででした。

まずは、西岡さんの号令に合わせて初瀬川(大和川)河川敷での43人の準備体操。爽快(壮快)でしたね。西岡さんに感謝!!感謝!!その後、対岸の仏教伝来之地碑を見学。現在は、小さな川ですが、大和朝廷の時代には、遣隋使がこの地まで船で来たそうで、小野妹子がこの地で飾り馬75頭に迎えられたということです。大阪湾から難波を通ってこの地まで船が行き来していたんですね。なんと素晴らしいことでしょう。

次に行った海拓榴市跡(つばいちしあと)・海拓榴市観音堂の豆知識…奈良への山の辺の道、初瀬街道、飛鳥への盤余の道、河内からの竹ノ内海道が集まった交通の要所で、難波からの船便もあり、市(いち)がたって大いに賑わった地で、男女が集まって互いに歌を交わして遊んだ歌垣も催されたそうです。

その後、おたふくの鬼瓦のある格子の古い町並みを通って釈迦・弥勒の二体の石仏がおさめられている金谷の石仏を通って聖徳太子創建と伝えられ三輪社の神宮寺として栄えた平等寺へ。ここは桜、藤、ツツジ、紫陽花、山茶花など、四季折々の花が楽しめ、8月1日には、ご本尊の秘仏十一面観音が公開されるそうです。また、歌碑も多いようです。

さらに足を進めて、大神神社(おおみわじんじゃ)へ。大物主命を祭神として三輪山をご神体戸する原始宗教の形を残す日本最古の神社と伝えられているそうです。国作りの神として、「日本書記」に三輪の神は蛇に姿を変えて現れたと記され、蛇の姿が川の流れに似ていることから五穀豊穣をもたらす水の神、酒作りの神としても崇められているそうです。そういえば境内に大杉があり、卵と酒が奉納されていましたね。
  
昼食の休憩所のある境内で桶田さんの奥さんに、リックサックなど見守ってもらいご神体の三輪山登拝。桶田さんの奥さんに、感謝!!感謝!!です。狭井神社で受付をすまし、襷を首にかけ、上り下り行程4qに、神聖な気持ちで臨みました。ぬかるみあり旧坂ありで思った以上にきつかったですね。みなさん、よくがんばられました。

上垣さんには、参拝の代金を立て替えていただきお世話になりました。また、昼食時には久保田さんに集金をしていただき、感謝!!感謝!!です。また100円玉を千円札に交換していただいた多くの方々へも感謝!!感謝!!です。昼食後は、檜原神社へ。この地は宗神天皇の時、天照大神が伊勢神宮に鎮座する以前に皇女豊鍬入姫命に託して遷された倭笠縫邑と伝えられ、それで元伊勢と呼ばれているということです。遠景に二上山が臨めますが、春分の日と秋分の日には、二上山の雄岳と雌岳の間に陽が沈むそうです。ボランティアガイドさんから教えていただきました。
  
ここから先は、左手(西側)に大和盆地を望み、秋を満喫しながら景行天皇陵(4世紀の古墳としては最大の大きさ)と崇仁天皇をへて柳本へと、ハイキングの一日を終えました。今回は、地元の東川さんに関西ハイキングサークルの旗を持ってもらい案内していただきました。東川さんに感謝!!感謝!!です。

参加したみなさんに助けていただきながら、古代ロマンの地、稲穂が金色に輝き、秋の味覚の柿、ミカン等…のどかな自然と戯れることができました。無人の野菜や果物の販売所ではたくさんのお土産を買い込みました。また、新しい人との出会いもありました。長い行程の一日でしたが、たくさんの思い出を作ることができました。参加していただいたみなさんへ感謝!!感謝!!です。     記 森田勝之
    
     
  ろう者24名  聴者19名(手話が出来る人も含まれています)
     
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