2012/03/17〜18    
 

特別企画第14回
竹田城跡  
14世紀中頃、但馬守護・山名氏の支城として築城された。秀吉の但馬攻略で、弟の秀長に与えられ、秀長没後は秀吉に投降した龍野城主・赤松広秀がとなる。秀長が城主の頃に大修復が行われ、今に見る総石垣の壮大な城となった。修復には13年の年月を要し、賦役の農民は「田に松が生えた」ほどの困窮に陥った。城主となった広秀は租税を免除し治水に力を入れるなど、領民に対し善政を布いたが、慶長5(1600)年、関ヶ原戦で広秀は西軍に加担し、後に家康に帰参するが、結局は家康の命により、切腹、赤松氏は断絶し城も廃城となった。

日本百名城の1つで天守閣などがない石垣のみの状態ながら城マニアの方々からもかなり評価の高い城跡です。標高は353.7m。マチュピチュは標高2400mなので比べものにはならないのですが、この雲海(朝霧)の上にそびえ立つ感じはまさに「天空の城」ですね。
日本のマチュピチュ

縄張りが虎が臥せているように見えることから、別名虎臥城(とらふすじょう、こがじょう)。また城下から遥か高く見上げる山の頂に位置し、しばしば円山川川霧により霞むことから、天空の城の異名をもつ。雲海に浮かび上がる古城の累々たる石垣群の威容は、名物ともなっている

 玄武洞
玄武洞は160万年前に起こった火山活動で流れ出した溶岩が冷え固まるときに規則正しい割れ目(節理)を作り出したものです。

 玄武洞は、その地質的な価値と自然のつくり出した美しい景観によって、早くから国の天然記念物に指定され、今は公園として整備されています。

梅雨時には、アジサイがいっせいに咲き、ピンクや紫の花が石の景観に彩りを添えます
玄武洞は南から、青龍洞・玄武洞・白虎洞・南朱雀洞・北朱雀洞と並んでいます。

青龍洞は、龍の昇る姿に似ていることから命名されました。洞の高さは33mに及び、玄武洞の中では最も長い節理が見られます。洞の下の池は、採石跡のくぼんだ岩盤を利用してつくられたものです。龍は、この池から立ち昇ったかのようです。

白虎洞は、柱状節理が横に並んでいます。なぜ横になったのか、いろいろと想像力をかきたてられます。洞の左右で、柱状節理の6角形の断面を間近に観察することができます。

白虎洞の北の南朱雀洞・北朱雀洞も小さいながら、特徴ある節理の形態を示しています玄武洞で見られるような節理を柱状節理といいます。

                餘部鉄橋
    左の懐かしい鉄橋の写真は 今はなくなり、下の写真が安全の為、コンクリート電車橋になり、誰も観覧に来なくなり、さびしい観光でした。

明治45年(1912年)に2年の歳月と33万余円 の巨費、延25万人の人夫を投じて完成されました。高さ41、45メートル 長さ310、59メートルの規模は当時、東洋一 としてデビューしましたが、現在でもトレッスル(橋脚部分)式鉄橋では日本一の 規模を誇っています。昭和61年(1986年)12月に鉄橋を通過中の列車が日本海からの突風にあおられ、転落、真下にあった水産加工場や民家を直撃するという事故が起きました。

2010年(平成22年)から透明なアクリル板の防風壁もついたコンクリート製新しい鉄橋になりました。

カニすき  さだ助 なごみの香風の宿
  来日岳
 

来日岳(くるいだけ)は、標高567メートルの秀峰であり、山頂からの見晴らしはよく、大岡山、蘇武岳、遠くには但馬の屋根・氷ノ山などが望め、眼下には豊岡盆地、円山川、日本海が展開します。晩秋は円山川の川霧に包まれ、早朝に登れば白一色に足下の風景を閉じ込める霧の海「朝まだき雲海」が日本海へそそぐ雄大な様を見ることができます。

 2012年3月17日 集合7:30 出発7:30 誰一人遅刻者なし定刻通りに出発 
一週間前から天気予報と睨めっこしていたが、予想通り朝から雨「トホホ・・」 気を取り直しいざ目的地〜

バスの中でワイワイガヤガヤしてる間に日本マチュピチュと言われている竹田城大手門駐車場に到着 予定表に書いていた亀さんコースで15分ぐらいで山腹に(竹田城は別名虎臥城と呼ばれ南北に400m 東西に100m天守台の標高は353.7m)国指定史跡になっており 秋から春には雲海が見られるそうです。私たちが登った時は雨風が強く少し残念でしたが又天候の良い日に登って見たい城跡でした。玄武洞〜餘部鉄橋観覧して「ほぼ予定通り」蟹さんが早く食べに来てくれと待っている、

民宿さだ助に到着 夕食時間にはかなり時間的に余裕があり同室になった方々とお茶等いただき、お風呂に入りたっぷり体を整え 蟹さんとご対面となり 宴会が始まり桶田会長の音頭で乾杯 又一杯目ビールのうまい事、乾杯のビールが東川さんから寄付と聞き本当に有難う御座いました
2時間位 わきあいあいと会食が進み余は満足な感じで終わり、 チョット飲み足りないめんめんが森田さんの部屋で(7〜8名)位で飲見直し程よく酔っ払った感じで眠りにつきました。

次に18日 さあ登ると意気込みましたが、足元が悪い等会長の判断でと思いますがロープウェイから登りその辺でうろうろすると思いきや2km位は歩いたと思います、結構汗だくになり、12時30分のロープウェイで下山して、2時出発までの間に運転手さんに教えてもらった温泉(御所の湯)にお風呂入りたい面々と気持ちよく入らせてもらいました、温泉を出てビールでも飲みたいな〜と思っていた時 先に出られていた川根さんが買ってこられ一本頂き数秒で飲み干し(川根さんが神様に見えた)美味しく頂きました 有難う御座いました。

バスに戻り2時に出発し、こうのとりの郷公園〜土産店「パオパオ」に立ち寄り帰路となり、帰りのバスの車中では皆さん(特に後ろの席)がすごく楽しくされていました。最後に皆さんが事故もなく無事に帰れた事が成りよりでした。                     記 南 周次 
  コウノトリ文化館
                   コウノトリの郷公園内で午後3時、池に撒く餌を待っているコウノトリ達
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